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『ルワンダ中央銀行総裁日記』と『ゴキブリ』

『ルワンダ中央銀行総裁日記』と『ゴキブリ』

 日本人がルワンダについての知識を一番得ている書籍は、服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』(初版1972年、増補版2009年、中公新書)である。この作品は著者の服部氏がルワンダの中央銀行総裁としての任務を振り返った自伝的文学作品であるが、一言でいえば英雄譚であるといってよい。日本銀行や出向したIMF で知識を深め経験を重ねた日銀マンである「私」が、聡明な指導者である大統領や大蔵大臣の命を受けて、独立間もなく経済的混乱にある国に、卓越した知識を用いて、経済的安定をもたらす英雄譚である。部下となる外国人職員を呼び寄せ、銀行業務を何も知らず働かない行員たちを鍛えて味方の陣営を整える。農業を自活農業から市場経済化した農業に変化させることでこの国の基盤とするという目標を定める。その目標の実現のために、政府内の、農民のことを考えない外国人顧問たちという身内の敵と戦い、自国の利益しか考えない外国系銀行という外の敵と戦う。それらの戦いの後に、当面の課題である二重為替制の一本化・適正な通貨切下げを成功させ、流通を整備し、経済の安定を成し遂げる。
 しかし、『総裁日記』は英雄譚であるから作中に現れる事物・人物は、その英雄の目に見えた姿で描かれる。ルワンダ人は、働き者の農民たちが大多数を占める集団と描かれている。ここで、背景に目を向けてみると、服部氏がルワンダに滞在した1965年から1971年は、ツチ人にとっては後のジェノサイドに先行するポグロムの時代の一部の期間であった。そういった時代にあって、政府のお雇い外国人としての立ち位置からは見えた出来事は、ツチ人の立ち位置からは違った見え方をすることになる。
 例えば、服部氏が、1966年4月 大統領の故郷の私邸(首都から50km離れている)を訪問した折、大統領の「お嬢さんがビールを持ってきた。十歳くらいのこのお嬢さんは小ぎれいな服装はしていたが裸足であった」(『総裁日記』207ページ)とある。この箇所を読んだ読者は、大統領の娘であっても、いつも裸足で暮らすような質素な生活を送っていると受け取るであろう。
 しかし、時は3年ずれるが、1968年から71年に中等学校に在学していた『ゴキブリ』の著者は、大統領の娘(上の引用中の人物と同じ人物かは特定できない)を含む有力者の娘たちからなる校内の特権生徒グループを、「なにより彼女たちは靴を履いていた。何人かはハイヒールだった。私は裸足で、3年生の終わりに授業料をごまかして、人生初の靴であるゴム草履を買うことができた」(第8章)と描いている。
 また、服部氏は『総裁日記』の2009年増補部分で「私のルワンダ在勤中、ツチ族の閣僚や高等官僚も若干の更迭はあったが、ツチ族が完全に締め出されることはなかった」(304ページ)と書いている。
 これに対して、『ゴキブリ』の著者は、 「義兄ピエール・ネトレイエは大学人だった。いかにもツチ人らしい体格をしていて、昔の王国の時代には高い役職を占めていた一族に属していた。ルワンダには民族差別がないことを示すアリバイ作りとして政府が演じさせる役割の基準に適っていたのだろう、彼は長い間海外で学問を修めることを許された。彼にもそれはわかっていた。しかし従うより他の選択はなかった」(第13章)と書いている。
 或る国の歴史・文化について、人は往々にして客観的な歴史書や論文からよりも生き生きと描かれた文学作品から学ぶ。『ルワンダ中央銀行総裁日記』は『フランクリン自伝』や『福翁自伝』に並ぶ文学作品であり、読者は面白味を感じながら読み進め、感興とともにルワンダについての知識を得る。しかし、これ以後はルワンダについて興味をいだかせる文学作品は日本では現れることはなかった。『ゴキブリ』は、ジェノサイドとそれに先行するポグロムという悲しい出来事を描いた自伝文学作品であるが、読者が感動をもって読むことができる作品である。日本には『総裁日記』を除いてほとんど知られていないルワンダという国の歴史・文化を、違った視点から、新たに発見させてくれるであろう。



 最後に追記として『ゴキブリ』の類書:ルワンダのジェノサイドについては多くのルポルタージュ作品が出版されているが小説は日本では出版されていない。類書としては1作品だけ、同じくフツ人とツチ人の民族対立を経験した隣国ブルンジを舞台とした半自伝的作品の
ガエル・ファイエ著、加藤かおり訳『ちいさな国で』、早川書房、2017年がある。

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『ゴキブリ』の著者について

IMG_20161022_003200.jpgジェノサイドを題材にした小説

1994年にルワンダで起こった、フツ人によるツチ人に対してのジェノサイドを題材にしたルワンダ人女性作家 の自伝小説 Inyenzi ou les Cafards 『ゴキブリ』のあらすじを紹介していきます。
今回は、著者の略歴の紹介です。

■出版社:ガリマール社、2006年刊行です。(2014年2月刊のfolio版では208ページ)

■著者略歴:Scholastique Mukasonga スコラスティック・ムカソンガ。1956年ルワンダ生まれの女性作家。幼少の頃から民族迫害を経験しました。1972年迫害の激化により隣国ブルンジに亡命、ソーシャルワーカーとして働くうちに伝承文学の研究者であるフランス人の夫と知り合い結婚、1992年にフランスに定住します。自身は1994年のジェノサイドを免れましたが、27人の親族を失いました。2006年、亡命までの「ポグロム」体験をもとにした、この『ゴキブリ』により文学の世界に入ります。原題の中の Inyenzi 「イニェンジ」 はルワンダ語でゴキブリの意味で、ツチ人に対する蔑称として用いられた言葉です。続けて自伝的作品として、2008年母をテーマにした『裸足の女』、2010年『飢え』を刊行します。2012年には体験に基づくフィクション作品『ナイルの聖母マリア』(2019映画公開)でルノドー賞を獲得しました。

参照:
著者の公式サイト http://scholastiquemukasonga.net/en/
学術研究としては、
元木淳子先生の「ジェノサイドの起源 : スコラスティック・ムカソンガの『ナイルの聖母マリア』を読む 」、『法政大学小金井論集』10巻33-58ページ、2013年、をお読みください。
https://hosei.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=9922&item_no=1&page_id=13&block_id=83
英訳版『ゴキブリ』は、ニューヨーク・タイムズ紙「過去50年の自伝ベスト50」(2019年6月)のベスト26~50に選出されています。
https://www.nytimes.com/interactive/2019/06/26/books/best-memoirs.html?smid=tw-share

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